通信制看護学校を卒業して≪看護部長 尾方 裕美≫
今から3年前院長から突然「通信制の看護学校に行かないか?全面的にバックアップします。」と言われ内心「えーこの年で」と思いました。しかしこれは私だけに与えられたチャンスだと思いました。准看護師も看護師も仕事は同じ、ただ師長になれないだけなんて簡単に思っていました。しかし、その考えはすぐに覆されました。学校の説明会でスケジュールを聞き、ついていけるだろうかと不安に陥り「やめればよかった・・」と思いました。しかしこれは自分で選択した道なので何が何でも全うしてみせると思いました。入学してから、年齢層の巾が広いのにびっくりしました。60歳目の前にし頑張っている人もいて、なんで今さらと思いましたが、すべての人が看護師という名のもらう事が夢だといっていました。私もその一人でした。
通信のレポートや紙上事例を展開する中で全く看護過程が理解できなく何度も何度も資料を読み返しやっとの思いで完成させ何とか期限に間に合わせ提出していましたが、その為には、時間を有効活用し家庭と仕事に両立も必要であり自分一人の力だけでは限界がありました。仕事は手抜きはできないため、家族の協力で何とかやり遂げることができました。毎日何かに追われているようでした。認定試験では寿命が縮まり、発表までの間は不安でさらに寿命が縮まりました。そんな時、いつも部長が「1回で合格するわけないよ、仕事もしているんだから」と必ず言ってくれ、合格すると「大丈夫だと思ってた」と言われホッとしました。
大変なことばかりではありませんでした。同じ目標を持つ仲間と出会う事ができたことや、いろんな人の話を聞いてはじめて自分は恵まれれていると思ったこと、「井の中の蛙」といいますがまさしくその通りで町立病院のよさを知りませんでした。
体制がしっかりしていること、教育に力を注いでいること、それは医師だけでなく看護師も同じように、また金銭面の援助も病院独自で行いサポートしていることなど、他の病院の人が私の話を聞くとみんな「尾方さんの病院はいいね。恵まれている。」と言われます。夢をつかむため教育の理解のない病院を辞める人、休みの調整ができないため夜勤明けで札幌まで通う人など勉強以外でもいろんな経験をさせてもらいました。
2年間の長く厳しい試練に耐え自分にも自信が持てたのは改めて看護の基本を学び自分を振り返ることができたからだと思っています。
それを支えてくれたのは院長始め事務局長の理解と部長やスタッフの協力のおかげだと思っています。
入学試験の小論文で、看護師の社会的責任について書いた内容を読み返してみたところ、松前町のような遠隔地の病院で私達に今求められている看護とは、単なるケアではなく看護師1人ひとりがイニシアチブをとって行動するケアであると思う。社会的責任に応えられるように自らを高めていきたいと書いてあることを再確認した。看護師は何事にも根拠をもって患者様の立場に立って、病気をみるのではなく病気を持ったその人を見ることが大切である。その中には生活習慣やその人の生き様を尊重しなければなりません。看護師としての社会的責任が果たせるよう日々努力していきたいと思います。
通信制看護学校を卒業して≪病棟看護師長 松田 真紀子≫
私は今から6年前、通信制看護学校へ進学してみようと、人生最大と言っても過言ではない一大決心をしました。それまで、20年程准看護師として就業していました。いつかチャンスがあれば進学したいといった思いはあったものの、日々の生活に追われ、気が付くと月日のみが過ぎていた日常でした。そんな中、松前病院スタッフから、2名の先輩が通信課程に進学し、うち1名は無事に看護師資格を得、もう1名は通信課程2年目に突入しようと奮闘中でした。この2名の先輩方の影響はとても大きく、また、松前病院のバックアップ体制が充実していた点が、進学を決意した決定打でした。松前病院では地域性からも、医療スタッフ不足が重要な課題となっており、病院全体が、スタッフ育成に大きな理解を示しています。実際、奨学金の貸付額も大きく、私のように就学しながらの通学者にも、少ないスタッフ数を快くシフト調整してくださった師長、スタッフに励まされながら恵まれた環境で通学できた2年間に本当に感謝しています。
通学中は、家庭と仕事、更に課題の勉強と、毎日時間との戦いでした。しかし、通学中に知り合ったどの学生からも、この恵まれた環境に「羨ましい」といった言葉を浴びせられ、途中でリタイアしたくないと強く思いました。また、これまでの経験が勉強することで、エビデンスが見えてき、この年齢になってから改めて勉強できる有難さ、楽しさを感じることができた2年間でもありました。
そんな私も看護師として今年で5年目を迎えます。スタッフの皆さんには、まだまだ甘えっぱなしではありますが、自分が経験してきた体験を糧に、今後、松前病院のスタッフとして活動していけたらと思います。
再就職して ≪外来看護師≫
私は、以前当院で勤務していましたが、育児と仕事の両立の壁にぶち当たり、退職という道を選択しました。最初のうちは、子供と過ごす時間が多いことに、喜びを感じていましたが、数ヶ月もすると、何か物足りなさを感じるようになりました。「子供に少し、手が掛からなくなったら再就職しよう」と退職した時から考えていたので、子供が3歳になったのを機に、当院に再就職することを決めました。
2年のブランクがあったので不安もありましたが、働けることへの喜びのほうが大きかったと思います。現在は臨時職員として、8:30~15:30までの外来勤務をしていますが、勤務時間の要望も取り入れてもらい、大変助かっています。子育て世代の同僚が多いので、育児の悩みがある時は、相談できる相手がいるのもいいところだと思います。チームワークも良く、働きやすい職場です。
院内勉強会も定期的に行われており、看護の質の向上のために積極的に参加するように心掛けています。これからも、より良い看護が提供出来るように、日々努力していきたいと思っています。
応援ナース ≪東病棟勤務≫
私は以前一度、応援ナースとして松前病院で10ヶ月勤務させていただきました。初めての応援ナースでの勤務はプレッシャーと、本当に自分に出来るのかという不安でいっぱいだったのを思い出します。しかし、スタッフの皆さんが本当に温かく迎えて下さり、何よりも明るくユーモアのある方が多かったので、すぐに馴染んで毎日忙しい中でも笑って楽しく働ける環境です。看護師だけでなく、看護助手さんや医師、検査の方々、事務の方々などスタッフの皆さんが温かいんです。それが忘れられず、一度、松前病院を離れましたが再び応援ナースとして戻ってきました。
皆さんが「おかえりー」と温かく迎えて下さり、また楽しく笑いながら働けることに感謝しています。ただ辛いと思って働いては患者様にも良い看護は提供できないと思います。ここでは、患者様とのコミュニケーションもとても楽しいですし、スタッフ間のコミュニケーションもよく図られているので、それが良い看護を提供することにも繋がっていると思います。地域医療に興味のある方、また楽しく仕事をしたい方、一緒に働いてみませんか?
応援ナース ≪東病棟勤務≫
応援ナースとして初めて松前病院で働いて約1年が過ぎようとしています。自分が経験をしたことのない北海道での地域医療に不安も大きかったですが、病棟スタッフの皆さんがとても優しく迎え入れてくださいました。
分からないことは何でも聞ける暖かい雰囲気があり、自分が学んできたこととスタッフの皆さんの地域・技術を共有しながら、より良い方向に看護が行えるよう日々取り組んでいます。時間内で勤務を終えることができるようスタッフ間の協力が自然とできる環境にあると思います。また、勤務の希望も聞いていただき、今まで働いてきた病院の中でもワークライフバランスが保たれていると感じました。休日には応援ナースの人やスタッフの方々と函館、札幌、登別など色々な所に行き、たくさんの思い出もできています。
北海道は札幌などの都市部は医療設備も充実していますが、多くの市町村では過疎化も急速に進み、人口に対しての医療施設の数も働く人員も不足している状態が続いています。
松前病院は地域医療拠点病院として、日々患者さんに寄り添った医療と看護を提供できるように努めています。このメッセージを見て興味がわいた方々と一緒に働けることを楽しみにしています。