医療コラム

人生の最期を考える その3

町広報「まつまえ」20年4月号掲載

暖かくなりましたね! 畑をおやりになるかたはもううずうずしておられるかもしれませんね。私は今年は体力を少し温存するため、耕作面積を半分にすることにしました! 残りの半分には「緑肥(りょくひ)」になる植物を植え、秋には耕耘機(こううんき)で土に鋤(す)き込んでしまおうという寸法です。

今回が人生の最期に関する最終回です。「自然な死」が事実上消滅した現代では、死は高度に「医療化」あるいは「文明化」されたものになっています。入院し、管からの栄養(経管栄養)や点滴を受けながら、また薬を投与されながら人は亡くなっていきます。
命はその人やご家族にとって非常に大切なものです。一人の人が、人生の最期にどの程度までの医療を受けるのか。これを決めることは容易なことではありません。私たちは一体全体どうすればよいのでしょう?

前回も書きましたように、医療の目的は「苦しくなくすること」と「延命」にあります。延命とはいっても、本人がつらくない延命、本人のためになる延命であるべきだと私は考えますがいかがでしょうか。
どなたかがいよいよ人生の終わりが来てほとんど食べられなくなったとします。

そのときの選択肢は
(ア)普通の点滴をする。これだと命が数週間延びます。
(イ)鼻から胃袋に管を入れておいて、流動食を流し込む。これは鼻やのどが非常につらいです。
(ウ)へその少し上から胃袋に管を通して(これを「胃瘻(いろう)」といいます)、流動食を流し込む。
これは、落ち着いてしまうとあまりつらくはありません。命はそれなりに長持ちします。
(エ)身体の奥の太い血管に点滴の管を入れ、濃い点滴をする。
これは人生の終わりに行う点滴としては果たして適切なものか私はいつも疑問に思っています。
(オ)食べられるだけ食べてあとは自然に任せる。
人間は飲まず食わずになると数日から一週間程度で極楽浄土か天国に行きます。
(私は不信心なので行けるかどうか・・・)

の五つに(大体)なります。

大切なのは、繰り返しますが、そのやりかたで本人がつらくないか、そのやり方が本人のためになっているか、ということだと思います。治療をすることで苦しみが延びることもあるんです。
人生の最期にどの程度までの医療を受けるかは、元気なうちから折にふれて一人一人が、家族も交えて考えてみるのがよいのではないでしょうか。そして、自分がどうしてほしいかを周りの人にしっかりと話しておくのがよいと私は思っています。
えーっ? 木村先生、そんな難しいこと、医療の素人の私たちにはわかりませんよ、とおっしゃるあなた。ごもっともです。「おれはそったらこと考えられネェから、子供サ任せる(ババさ任せる)(ジジさ任せる)」とおっしゃるなら、それはそれで1つの見識だと思います。でも、大体の路線はお考えになった方がいいですよ。

なんかすっきりしないなぁ、と思われるかもしれません。そうです、すっきりしないんです。自然が想定していなかった治療を開発してしまった人類であるがゆえに、(かえってそのせいで)悩まなければならなくなったのです。
では。

院長 木村 眞司